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【工藤芳幸先生】話しづらさを抱えることと「今、ここ」を生きるかたち~後編~

工藤芳幸先生(関西福祉科学大学保健医療学部リハビリテーション学科)に、『話しづらさを抱えることと「今、ここ」を生きるかたち』のご寄稿を頂きました。ことばの障害を持つ方の支援者として、また、話しづらさを抱える当事者としての視点でのお話です。話しづらさを抱える方に接する機会のある色々な立場の方に読んでいただけましたら幸いです。


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【 話しづらさを抱えることと「今、ここ」を生きるかたち ~後編~ 】

従来、〈障害〉を個人の能力、機能障害からみることは「医学モデル」や「個人モデル」と呼ばれ、それを治すことに価値が置かれてきた。私自身もそれに一定の価値があると信じている。STは機能性構音障害についてはある程度確立された指導技術を有しており、数少ない「治す」ことができる言語障害とされており、指導技術を向上させたいと思ってきたし、必要に応じて構音指導も行なってきた。それで通じなさが解決されることもある。しかし、場合によってはかなり長期間の指導が必要になることもある。

ここで同時に考えておきたいことは、「できないことをできるようにすること」を当たり前とする社会の語り方の作用である。機能障害による「できなさ」はその個人に属する否定的なことであって、克服する努力が個人に置かれてしまいがちだ。一方、「できなさ」はその時代の社会構造や支配的な価値観から構築されていると考えるのが、障害の「社会モデル」である。例えば、きれいに滑らかに話すことに価値が置かれる社会、言語情報が重要視される現代社会では、言語のいずれかの側面が多数派と異なる場合に困難が生じやすい。〈障害〉は社会で支配的な価値観と無関係ではいられないのである。それらは他者からの視線や働きかけを通じて内面化され、自分の内側から心の声となって時に人を支配し、苦悩を生む。したがって、「社会モデル」から考える構音の〈障害〉の解消は、正しく構音ができるということとは少し異なる。「話し方」はそもそも人によってさまざま。少しずつ違った他者同士が、さまざまな差異があることを前提として対話できること、それを通してこれまでかたち作られてきた内なる声との新しい関係を築くことといえるのではないだろうか。

発達心理学者の浜田寿美男は、人は誰しも手持ちの力を使って、〈ここの今〉を生きる存在であると繰り返し述べている。より良くなりたい、より成長したい、あるいはよりきれいな音を出して話したい、自分が思うように動かしたい、選びたい言葉で意思を伝えられる自由を得たいといった「より」「もっと」は、生きる上で大切な思いや衝動だ。しかし人間は誰しもできなさや弱さを抱えて生きることとは無縁ではいられない。「人は明日、獲得するかも知れない力で今日を生きられない」。これは発達の原則であり、自分ではどうしようもない壁、弱さ、できなさを引き受け、それを互いに認めようとするところに「他者と共に生きるかたち」があると浜田はいう。

まだ私には具体的に何をどうすればことばやコミュニケーションの〈障害〉を解消することができるか明確な答えはないし、特定のモデルだけで語ることができるとも思っていない。ただ、どこか行き詰まった時、「明日獲得するかも知れない力」を過剰に求める社会の視線を一旦横に置き、話しづらさを抱えた〈ここの今〉の他者、あるいは自分のことばに耳を傾けることには、状況を少しばかり動かす大きな意味があると考えている。


工藤芳幸

関西福祉科学大学保健医療学部リハビリテーション学科言語聴覚学専攻 講師


参考文献:浜田寿美男(2023)『「発達」を問う−今昔の対話制度化の罠を越えるために−』ミネルヴァ書房


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【 話しづらさを抱えることと「今、ここ」を生きるかたち ~前編~ 】はこちら 





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